POOHNEAN's WEB
PHOTO : JOHANNESBURG

ジョハネスバーグは、南アフリカ最大の都市。
日本語ではなぜかドイツ語発音で「ヨハネスブルグ」と読まれるが、
現地では、英語発音で「ジョハネスバーグ」。
現地発音に倣い、表記は後者とする。

南アフリカの首都は、行政府のある隣町プレトリア。
ジョハネスバーグは首都ではないが、人口400万人を擁する経済の中心都市。
プレトリアと併せ、アフリカ屈指のメトロポリスを形成する。

海抜1700mの荒野に何故これほどの大都市が誕生したのか?
19世紀初頭にこの地でダイヤモンドが発見されて以来、多くの人々が流入したことに由来する。
ある街中心であるダウンタウンには高層ビルが立ち並び、
当国の経済成長の象徴しているかのよう。


アパルトヘイト撤廃後、多くの被差別黒人が街に出た。
識字率も低く、満足な教育を受けられなかった人々も多く、職に就けず犯罪に走るという
皮肉な結果になっている。

特にジョハネスバーグのダウンタウンは急激に治安が悪化、経済的に豊かな国を求めて、
近隣諸国からの移民も急増。不法滞在を招き、街は麻薬取引や殺人・強盗など、
犯罪の舞台となってしまった。都心からは企業やホテルの撤退が相次ぎ、
これほどの大都市のダウンタウンが、ゴーストタウンと化してしまった。
危険すぎる都心から白人たちは逃げ出し、近づくことは殆どない。

「世界一危険な都市」という汚名を返上し、無事FIFAワールドカップが開催できるよう、
治安回復に国を挙げて取り組んでいる。

撮影地 ダウンタウン 撮影地 ダウンタウン
時期 07年8月 時期 07年8月
ダウンタウン全景。
「世界一危険な街」ジョハネスバーグの心臓部。
右寄りにある背の高いビルが、アフリカ第1位の高層ビル
「カールトン・センター」。

車内からの汚い写真ですまん。
市内始め、全国で高速道路網が発達。
サントン地区からダウンタウンへ向かう高速道路にて。

撮影地 ダウンタウン 撮影地 ダウンタウン
時期 07年8月 時期 07年8月
都心部。
昼間なのに人通りが少ない。
少し裏通りに入るとこのとおり閑散。
夜になったらどんな雰囲気になるのだろう。

撮影地 カールトン・センター 撮影地 カールトン・センター
時期 07年8月 時期 07年8月
カールトン・センターにて。
オフィスビルに隣接する、写真右のビルが
「カールトン・ホテル跡」。急激な治安悪化で
撤退を余儀なくされ、今では空き家。
カールトン展望台より、ジョハネスバーグのダウンタウンを俯瞰。
ゴールドラッシュにより発展したこの大都市が、
今では世界屈指の犯罪都市に。

この景色を見る限り、ここがゴーストタウンであるとは
にわかには信じられない。

撮影地 カールトン・センター 撮影地 カールトン・センター
時期 07年8月 時期 07年8月
ジョハネスバーグ駅方向を臨む。
駅前は都心で最も危険なエリア。
ツーリストや白人が近づくと、間違いなく強盗に襲われるという
とんでもないところ。

半日雇ったガイドのビクターも、決して近寄ろうとはしなかった。
荒野の中の大都市。
この街は標高1,700の高地に位置する。

撮影地 マンデラ・ハウス 撮影地 マンデラ・ハウス
時期 07年8月 時期 07年8月
ノーベル平和賞を受賞した、ネルソン・マンデラの生家。
現在は内部も公開されているが、写真はダメ。

1991年まで、国家反逆罪に問われ収監、当時のデクラーク
大統領政権時に釈放、アフリカ民族会議議長となり、
デクラークと共に政策撤廃に尽力した。
1994年、初の全人種統一選挙にて大統領に就任した。
佇まいは非常に質素。
若くして弁護士として働き、アフリカ民族会議のキーマンとして
黒人開放運動を推進。
国家反逆罪になり収監され、その後大統領まで登りつめた
人生は、激動であったに違いない。

現在はユネスコ親善大使として働く。

撮影地 ソウェト 撮影地 ソウェト
時期 07年8月 時期 07年8月
ジョハネスバーグ郊外にある、
南アフリカ最大のタウンシップ(黒人居留区)、ソウェト。
今でこそインフラが整いつつあるものの、
郊外の白人エリアと比較すると、まだ格差が大きい。
紺碧の空と、黒人青年たちの明るい話し声。
ソウェト蜂起の悲しい歴史は微塵も感じられない、
日常の風景であった。

撮影地 ソウェト 撮影地 サントン
時期 07年8月 時期 07年8月
この写真はあまりにも有名。今でもソウェトにある博物館の
モニュメントとして展示されている。

「ソウェト蜂起」
1974年、すべての黒人学生が授業を
「アフリカーンス語(オランダ語の派生)」で行うことを政府決定。
アパルトヘイトの象徴である言語で学ぶことを拒否した学生と
政府での衝突に発展した。
沈静化の為、白人警官隊が群集に発砲、
最初に写真のヘースティングス・ヌドロフ少年らが犠牲となり、
衝突は泥沼化。
最終的に200人近くが死亡する大虐殺となり、この写真は
世界中を駆け巡った。

結果、国際社会から南アフリカは孤立、経済制裁を受け、
最終的にアパルトヘイト撤廃へと進むこととなった。
治安が極度に悪化したダウンタウンから、
企業やホテルは数キロ郊外のサントンエリアに移転を進めた。

郊外に位置する副都心の様相。
現在もビルの建築ラッシュで、美しい街並みが広がる。
治安も比較的安定、巨大なショッピングモールもあり、
人々の集う新しいエリアとなった。

公共交通機関は皆無だが、現在、空港からサントンエリアを
経由する鉄道路線を建設中とのこと。

ワールドカップ開催のころには、また違った雰囲気に
なっていることだろう。

撮影地 ジョハネスバーグ国際空港 撮影地 ジョハネスバーグ国際空港
時期 07年8月 時期 07年8月
南アフリカ航空のA340-600、エアバスの最新鋭機。
日本ではまだまだマイナーな飛行機。
世界一長い旅客機、鳥みたいでカッコイイ!!

この機材を導入してるエアラインはまだ少なく、
南ア航空のほか、イベリア・カタール・キャセイ・ルフトハンザ等。
(ガラス越しで映りこみあり。気にしない。)
ケニア航空も初見!
遠隔地にある大空港だけに、中型以上の大きな
長距離用飛行機がたくさん停まっててワナワナ!!
最後の最後まで南アを満喫。

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